──これは、限りある人生を「自分の言葉」で生き直す物語だ。
私の人生は、挫折の連続だった。
第一志望だった大学に、たった“一点差”で落ちた。
浪人して、もう一度挑戦した。だけどまた敗れた。
それでも諦めきれず仮面浪人をした。でも、そこでも僕は合格をつかめなかった。
3度も夢に手を伸ばして、3度も届かなかった。
「自分は結局、何者にもなれないのかもしれない」
そんな声が、心の奥でささやいていた。
私が塾講師をやめた理由
2024年春、私は今までいた大学に2年生として通い同時に塾講師として働き始めた。
生徒と真剣に向き合いたかった。
彼らの人生に、少しでも意味のある影響を与えたかった。
でも、現実は違った。
授業を増やすために、生徒の不安を煽る。
「このままだと成績が伸びませんよ」
「もっと授業を取れば志望校に近づきますよ」
教育の名を借りたビジネスが、そこにはあった。
もちろん、利益が大事なのはわかる。
でも僕は、自分の中の“本気”をそこに置き続けることができなかった。
理念が違う。
そう思った僕は、塾を辞めた。
本と、迷走と、そして“時間”の正体
それから僕は、ひたすら本を読み始めた。
「自分は何者なのか」
「このまま大学を出て、就職して、ただ生きていくのか」
答えが欲しかった。
ビジネス書、哲学書、自己啓発、心理学……。
気づけば、1年で400冊以上の本を読んでいた。
限りある命を、時給で切り売りしていいのか?
和食料理屋でホールスタッフとして働き始めたとき、僕は心から嬉しかった。
一生懸命に動いた分だけ、お金という対価が手に入る。
「自分の価値が、数字で見える」──そんな実感が、なんだか誇らしかった。
でも、ある日ふと立ち止まってしまった。
「このお金は、本当に“自分の力”で稼いだものだろうか?」
時給をくれるのは店だ。その店には「看板」がある。
全国に展開する有名なチェーン店。その看板があるからこそ、お客さんは来る。
料理は決まったメニュー。マニュアル通りに動けば、一定の評価をもらえる。
今、僕がもらっている給料は、「僕」という個人に支払われているのではない。
「看板」の一部として働く僕に支払われているんじゃないか?
そう思ったとき、心の奥がざわついた。
そして、もうひとつの問いが浮かんできた。
「自分の“時間”って、そんなに安くていいのか?」
僕たちの命には、終わりがある。
いつか必ず、終わりがくる。
今、この瞬間も、静かにカウントダウンは進んでいる。
限られたその命のかけらを、
時給1000円で切り売りしていて、本当に後悔しないのか?
その問いが、胸の奥で、
静かな火種のように、燃え始めた。
だから僕は、“書く”ことを選んだ。
ブログを始めようと思った。
お金になるかどうかなんて、正直どうでもよかった。
むしろ、今も1円も稼げていない。
それでもいい。
僕が「書く」のは、稼ぐためじゃない。
“生きる”ためなんだ。
自分の言葉で、自分の人生を取り戻したい。
そう思った。
ブログを書くことは、自分の魂を紙に刻むような行為だ。
それは、誰かの心に火を灯すかもしれない。
もしかしたら、たった一人の読者の人生を変えるかもしれない。
そう思ったとき、僕はようやく――
「点数」や「合格」じゃない、“本当の挑戦”に出会った気がした。
君に伝えたいことがある。
もし、今この記事を読んでいるあなたが、
過去の僕と同じように、人生に迷い、
時間をただ消費しているだけに感じているなら、こう伝えたい。
人生を、誰かに預けないでほしい。
あなたの時間は、あなたの命だ。
誰かのために使うんじゃない。
“あなた自身のために”、燃やしてほしい。
すべてを捨てなくてもいい。
バイトをやめなくても、今すぐ何かを変えなくてもいい。
でも、挑戦してほしい。
小さくてもいい。
たとえば、今日から“書く”だけでもいい。
誰に見られなくてもいい。
誰に届かなくてもいい。
自分の人生に、自分の言葉を刻むこと。
それこそが、自分を取り戻す最初の一歩なんだ。
僕は今も、料理屋のホールに立ちながら、こうしてブログを書いている。
これは、僕にとっては「未来」そのものだ。
誰かに届くかなんてわからない。
でも、信じてる。
この文章が、あなたの明日を、少しだけ温かくできたらと。
たとえ、たった一人でもいい。
誰かの人生の転機になれたなら、
それこそが、僕が“書く”理由だ。
限りある命を、誰のものにもせずに生きるために。
僕はこれからも書き続ける。
何があっても。